タイトルを見て食べ放題だと私が食べ過ぎて太って危ない。。と思った方が
ほとんどでしょう。ところが違うんですね、これが。

私が大学生の頃(1990年頃)まで日本には「食べ放題」という文化は
まだなかったように思う。(私が経験していなかっただけかもしれないが)

24歳のときアメリカに留学して
大学の近くの中華料理屋さんの「12ドル食べ放題バイキング」に感動したという
記憶がある。日本の大学の腹ぺこ友達を連れてきたい~って思ったものだ。

もっとびっくりしたのがロスの長距離バスターミナルで
1ドルで1リットルのコーラを売っていて
さらに無料でお代わりし放題、ってやつ。
「もう十分。。お代わり必要なし。ゲップ。」って感じだった。

日本に帰って来ていつ頃からか
「食べ放題」の看板を見かけるようになって
飲食では今や当たり前になった。

「必要なだけ取って食べる」というのは一見いいじゃんって思うかもしれないが
本質は「無駄を省く」「損をしないようにする」ということ。
何が抜け落ちたかというと作り手と食べる側のコミュニケーション。つまり食べる側の「感謝の念」や作る側の「おもてなしや感謝を受けてのやる気」の相互的な流れが止まってしまった。

「残したらもったいないやん。」って、ご飯を大量に残しているアメリカ人の友達に言ったら
「私たちはお金で食べる権利を買ってるのよ。自分の権利である食べ物をどうするかは私に決める権利があるのよ。」って本気で言ってた。アメリカってこんなになってんだって恐ろしくなった。

「◎◎し放題」って、食べ物以外でも今すごく多い。

ゲームセンターのインベーダーゲーム1回100円。
任天堂のファミコンが登場して機械を買えば家でゲームやり放題。
(当時は感動したなー)

デジカメとSDカードの登場でカメラはほぼ撮影し放題状態に。
撮ったものがすぐ見れたり、気に入らないとすぐ消せたりする。
確かに便利だが、何かが抜け落ちた感は否めない。

みっちゃんさんの日記にあったが、内蔵HDDのあるビデオカメラも
「撮り放題」って感覚になる。

パソコンや携帯だと
定額制でネットつなぎ放題。
ホワイトプランでしゃべり放題。

◎◎の部分が抜けて「し放題」の感覚だけ
人の頭の中に残り始める「洗脳」じゃないの?と
思える程だ。

規制緩和で派遣社員を安価で使い放題。
使いすぎて壊れたら交換し放題。

クレジットカードで買い物し放題。
あとで請求書みてびっくり。

スイカやPASMOも一旦お金をチャージすると
電車に乗り放題、という感覚になる。

私は電車に乗るときは「お金を使って乗った感」を感じれるように
イチイチ切符を買っている。

まあこんな調子ならそのうち、地球の資源も使い放題、っていう感覚になるのは当然でしょ。金出したら権利が買える、って感覚が当たり前になり、そしたら自分のやりたい放題ってことに繋がるし、ねこさんも言ってた「自分だけよければよし」に繋がるじゃないのって思ってしまうわけ。

もし私が闇の勢力の一員なら
◎◎し放題を社会の常識にして
人々から感謝の念を奪え、と
指示すると思う。

でもイノチをくれた食材さんたちに「頂きます」、作ってくれた方々へ「ごちそうさまでした」と手を合わせて感謝をする日本人ってやはりすごいと思う訳です。

金をいくら積まれても
気に入らねえやつには食わさねえぞ、っていう
飲食店って昔はあったような気がするけど
今はどうなのかな。