実際、あの世がどうなっていて、この世がどうなっているかって、あの世に行ってみないとわからないとは思いますが、死にかけてあの世の入り口を見てまたこっちの世界に戻ってきた人たちっていうのも地球にはたくさんいて、その人たちの証言を集めた本ってのもあるわけです。一人の人だけがそう言っているなら「ん?」と思うところもありますが、そういう本を読んでいると多くの人たちが同じようなことを言っているので「嘘」を言っているとも思えず、「感覚的」に「なんとなくわかるわ~」と何の根拠もありませんが直感でわかるわけです。

で、結局あの世がどうとか、この世がどうとかはそんなに大事なことではなく、やはり「輝いて生きる=自分のこの世での役目を果たす」=「生まれてきてよかった」と思えることが大事なんじゃないかと思うのです。

「人生ゲーム」の面白いところは、肉体を持つが故に「想い」がなかなか実現しないところです。人生に現れる人たちは助けてくれる人もいれば、攻撃してくる人もいますね。攻撃してくる人はいやですよね。そこでたいていやろうとすることは「自分が正しくて人が悪い」「人を正さないといけない」ってことです。これは人を正しているんじゃなくて、実は「自分の都合のいいように人を変える」っていうことをしているんですね。

本当に人を正すというのは「その人が天命が受け取ることができて、天命を遂行できる状態にする」ということだと思うのです。

人生はゲーム。

スポーツもゲームですね。

サッカーも抵抗してくる敵がいないと面白くないのと同じで
人生も敵や抵抗勢力がないと意味がないと言ってもいいと思います。
(嫌ですけどね)

サッカーで敵に向かって「お前ら~俺らのチームの味方になれー」って言っても無理ですよ。味方は自分のチームにいる他の10人で敵が11人なのです。

だからやるべきことは、自分たちのチームを鍛錬して強くすることなのです。

もし敵が「負けてもいいや」と思って手抜きをしてくるとゲームには勝ちますが面白くありません。そう言う場合は「お前らも思い切りかかってこいや。試合をするからには君たちも勝ちたいんだろうが!」と敵を敵として正すことが必要になってくるのです。

まあしかし、ここにお金がからんでくると八百長になります。そうなるとどちらのプレイヤーも「やる気」をなくします。ゲームをする目的が変わってきちゃいますからね。それが今の地球社会なのかもしれません。(正すべきところですね☆)

過去と他人は変えられない。
自分と未来は変えられる。

人生がうまくいかなくて辛いときでも
人を責めてはいけません。
なぜって?マイナスの思念パワーや言霊パワーが全部自分に返ってくるからです。
精神と肉体がどんどん病んでいきます。
人が自分を痛めつけているのではないのです。
自分が人を責める思念や言霊が自分自身を痛めつけているのです。
そして人を責めている間は左脳コア全開になって実際に脳神経細胞が8割切れる状態になるので
物事がマトモに見えてないし、マトモに聞こえないし、マトモに考えることも
できなくなっているのです。だから益々おかしなことを言ったりやったりして
どんどんマイナスの渦の底に入っていってしまいますね。
不幸が不幸を呼ぶのはこういうメカニズムになっているのです。

人と人の最初のぶつかり合いはテレパ語でいくとUD16、メキキでいくと四魂の違いからくるものです。

うまく行かないとき、辛いときは「自分自身に矢を向ける」ことが
抜け出せる唯一の方法だと確信しています。感謝のゾーン『細やかな和の精神ゾーン)に入ることができれば現状は変わらずとも悩まなくなります。悩まなくなるだけでなく、相手に対する思いやりが出てきます。愛ですべてを包むというゾーンですね。でそこまでいくと、相手も変わり、現状も変わってくるのです☆私も経験者なので。