ずいぶん昔のことだが
「自己正当化」にこだわっていた時期があった。

自分の考えが正しいことを
証明してくれる理論とか考え方とか世界観を探して
ありとあらゆるスピリチュアル的なセミナーなどに
お金と時間の許す限り行きまくっていたあの頃。。

結局、かなり長い時間(十数年以上)もがいたあと
「自分が正しく、相手が間違っている」では
いつまでたっても袋小路であることがわかってきた。

かと言って
「自分が間違っていて、相手が正しい」という訳でもない。

結論は
「自分も正しく、相手も正しい」。

人の数だけ「正義の種類」があるのだ。

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「自分が正しく、相手が間違ってる」とか
「自分は正しく、国が間違ってる」とかってのは
10代から20代にかけての若者が吠える内容としては
実に正常だ。若者はむしろ吠えなくてはいけない。

30代くらいになって、例えば会社員だと組織の中堅になって、グループをまとめる役職についたときに
「自分が正しく、相手が間違っている」の理論で押し切ろうとしても
人はついてこないし場は動かない、ということに大半の人間が気づく。
気づくためには、人をまとめる、という「経験」がないといけない。
この経験が欠落しているといつまでたってもメンタリティは10代のままだ。

壁にぶちあたった時が大きな分岐点となる。

「自分の考え方を変えないといけない」と思う人間は生き残れるが、
頑(かたくな)に考え方を変えない人間からは人は離れて行く。
そういう人間は自分の考えに同調してくれる人間や組織や考え方を求めて放浪を始めるのだ。
一時的には賛同を得る事もあるがやはり頑な人間からは結局人は離れて行く。
出会う人間のレベルはどんどん落ちていき、そして最後にはひとりぼっちになってしまう。

一方、自己否定という苦しみの壁を乗り越えた者は
40代くらいになると「人の数だけ正義がある」ということがわかってくる。
それぞれの考えを認めつつ、今いるメンバーでなんとかやっていくしかない、という境地に至る。

こんなふうに10代~40代のプロセスを踏めたらラッキーじゃないの?
って思ったりする。

これは実は私の大学時代の学生寮のときの1回生から上回生になっていく時のプロセスとも相似形でもある。

とはいえ、若いのに40代くらいの悟りをしている人間もいる。寮で言えば1回生なのに4回生の悟りをしていたような人間。寮の1階で言えばK木とか、T倉とか、Iずみとか(笑

「仕事」や「場」は人を成長させてくれるはずのものだが
現代は残念ながら「人を成長させてくれる仕事や場」自体がなくなってきた感もある。

利益優先で従業員を機械の部品のように扱う今の会社組織の有り様はひどい。
そんな中では人間は育たない。
従業員を「ファミリー」として扱う昔の日本の会社組織にこそ
人を育てる日本の智慧があったのではないかと思う。