南アフリカのアパルトヘイトを扱った映画「遠い夜明け」の中の台詞に
「人は自分や自分の大切な人に危害が及ばないと、決して動こうとはしない」
というのがある。

この映画を見たのは確か高校生の頃で
なるほどなあと思ったものだ。

現代社会では

「世の中から切られた人たち」

というカテゴリーが実はある。

切られた人たちは、自分が切られた時にそれがわかる。

だけど、切られてない人たちは、そういう人たちがいることに普通は気がつかない。

なぜか? 主にメディアがそれを覆い隠すからだ。

切られた人たちというのは
言うまでもなく「社会的弱者」に
あたる人たちだ。

「贔屓(ひいき)する先生のいる学校の教室」に例えるとわかりやすい。

勉強のできる子
お金持ちの子
先生にゴマをする子
たちが
「教室での強者」になり
先生に可愛がられる。

勉強のできない子
貧乏な子
先生に反抗する子
すなわち「教室での弱者たち」が
先生に嫌われ、
レッテルを貼られ
いじめられる。

なにをかくそう
私は小学校の時に
「いじめられっ子」という弱者の経験があり
先生もクラスの友達も
誰も助けてくれない、、という状況を体験したことがあるので
相似形として
弱者の気持ちと
強者の理論は非常によくわかるのだ。



東北の地震。津波。放射能。

親戚や大事な人が東北にいて、被災していれば
もうそれは「自分のこと」になり
物心共の支援をしようとする気持ちや、マスコミの偏向報道や国の責任逃れに対する怒りが
芽生えるのは当然だ。

だけど、知ってる人が東北にいなければ
情報はマスコミからだけになり
自分が動くには至らない、という状態になる。

私は東京に住んでいるし、
関東のホットスポットと呼ばれるところに住んでいる友達もいるので
放射能に関しては人ごとではなかった。

だから必至にいろいろ調べたし、そこから原子力ムラの存在などにも気づき
そこから芋づる式に「根源」である世界の1%が支配する金融システムにまで
行き着いた。その根源を根絶やしにしない限り何をしても対処療法にしか
ならないこともわかった。


今回、雪の被害がすごい。
友達がたくさん住んでいる埼玉県秩父からは
悲痛な叫びがFBからリアルに聞こえてくるので
もう人ごとではなく、自分ごとだ。

被害で大変な人が地方にたくさんいるのに
テレビではオリンピックでお祭り騒ぎ。
マスコミいい加減にしろよ、って言いたくなる。

被害に合ってる人たちは「世の中から切られた弱者」になり
被害に関係ない人たちは「世の中の中にいる強者」となり
マスコミは今日(こんにち)、強者のためだけに
あると言っても過言ではない。

自分が弱者になると
それがよくわかるが

弱者になったことがない人間は
なかなかわからない。

ただそれだけだ。



弱者はたくさんいる。

最近の日本だけでも...

ブラック企業で苦しむ若者たち。
邪魔者扱いされる高齢者たち。
子供がいるが預ける保育園がないシングルマザー。
病気で苦しんでいる人たち。

地球全体に目を向けるとキリがない。。



でもだ、

実は、日本人はちょっと違うのだ。

「弱きを助け、強きをくじく。」

そういう精神(和の精神)を持っているのが「本当の日本人」なのだ。