【同調の法則】

葡萄を「おいしい」と感じれるのはなぜか?

それは「葡萄をおいしいと感じれる才能」がある人が、ぶどうを食べるからだ。
幸せ~ってなる。
しかし自分に「葡萄がおいしい」と感じれる 才能があるかどうかは、実際に食べてみないとわからない。
食べれば好きか嫌いかが「ハッキリ」とわかる。

同じようにダンスが好きな人は、「ダンスをすると楽しい」と体がそう感じるから
ダンスが好きなのだ。

「体が楽しいと感じる」ことがいわゆる「才能」なのだ。

私の考えでは、才能がない人などいない、と確信している。

つまり才能がないと感じている人は「自分の才 能を引き出してくれる物事」に出会ってないだけ。
内に秘めたる才能を開くには幕の内弁当的に今まで食べた事がないものを食べ、まだ経験してないいろんなこ とを試してみることだ。

自分の魂に響くものがこの広い世の中には必ずある。

中には、ちょっとやってはすぐに飽きてまた別のものをちょっとやってはすぐに飽 きる、という人もいるが、実はそれも立派な才能なのである。

悪く言えば「飽きやすい」
しかしその本質は「常に新しい情報を求めている」とか「今それが面白いかどうかにとても正直」
ということになる。

「えっ、それも才能なの?」っていうくらい「才能の種類」は人々が常識的に思っている以上にか なり多彩なのだ。

僕は子供時代に「才能を引き出してくれる物事との出会い」がなかった暗黒時代を過ごしてきたので、それ故「才能学」に貪欲なのかもしれな い。

だけどその暗黒時代が才能学の才能を伸ばすために必要な要素だったのだという確信がある。
だから過去の全てに感謝なのだ。