人に意見を聞いて
それを採用して
失敗したとき
「あの人がこう言ったから失敗したのだ」
というのは
ダメよ。

その人の意見を採用したのは
「君」なんだから。

自分で決めたのだ。

それを人のせいにしてはいけない。

僕がこのことを掴んだのは
大学浪人時代だった。

浪人時代に
僕は「名前がオシャレ~」っていうだけの理由で
神戸外国語大学を狙っていた。
偏差値はもちろん全然足らず
二次試験にはなぜか「政経」があった。
神戸外大は元貿易系の学校からスタートしたという
のが理由だった。

予備校の事務の方に
政経の専門の方がおられて
その方に参考書を紹介してもらった。

が、僕はそれを買ったはいいものの
ほとんど全く勉強もせず、
それを参考書がよくないからだ、
というふうに言い訳をしていた。

あるとき、何かのはずみで
その事務の方との話になり
「全然勉強が進んでないです。参考書がわかりにくくて~」
と言ったとき
その普段温厚な事務の方が
(今風の言葉でいうと)ブチ切れた。

「お前な~、参考書のせいにしてるやろ。
勉強してないのは、お前が勉強するのが嫌やからや。
自分が努力してへんのを棚に上げて、参考書のせいにすんなや!」

僕はぐうの音も出なかった。
打ちのめされた。
だけどこの時気がついた。
俺はアマちゃんやったーと。
(今でもある意味まだまだアマちゃんだが...)

結局共通一次(当時の呼び名:今のセンター試験)
の得点が足らず僕は神戸外大を受けることは
なかった。

何かうまくいかないことがあって
それを
金がないからだ
時間がないからだ
あいつが悪いからだ~
と言い訳しているうちは
何も大成しない。(3次元以下)

俺に何か足らないところがあったから、
と自分に矢を向けることができて
はじめて前に進んでいけるのだ。(4次元以上)

このことは、できるできないはいいとして
僕は10代、つまり成人する前に一度は掴んでおかないと
いけないと思うんだが。
そのために「若者のための関門」を設けることが
文化の中にないといけないと思う。
昔の「元服」や
世界にある「成人の儀式』のようなものが必要だ。
(例えばニューギニアのバンジージャンプは成人の儀式)

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60日目その2