5〜7魂次元の人間の特徴として
言葉や数字が上手く扱えない

という話を少し前のブログ記事で書いた。
覚えているだろうか。


とにかく
5〜7魂次元の人たちは
「しゃべらない」か
「変なことをしゃべる」かの
どちらかなのだ。

変なことをしゃべる有名人の代表例としては
野球選手の長嶋茂雄とか
芸術家の岡本太郎あたりになる。

どっちも何をしゃべっているのか
わからないが
頭の中にはバッチリイメージ(宇宙からのインスピレーション)がある。
だからあれだけの絵が描けたり
あれだけの体の動きができるわけだ。
(もちろん一歩間違えばただの変人として終わるのだが...)

◆僕の小学生時代

僕はだいたい5次元魂あたりの人間。
それを象徴づけるような出来事が
小学生の頃に起こっていた。

とにかく僕は子供の頃は「言語」を持つことができなかった。
どういうことかというと
友達や先生に対して「言葉で自分の気持ちを素直に言う」ということが全くできなかった。

だからちょっと友達にいじられても
「嫌や。やめろや〜。」
みたいなことも全く言えなかった。
だからよくクラスでは「いじめ」に遭っていた。
「こいつ、何やっても言い返してこない」って
いじめっ子たちは思ってたんだろうな。

小学校3年と5年の時は
新人の女の先生が担任になり
時々いじめっ子が僕にいいがかりをつけて
それを先生にチクって
僕の「裁判」みたいなことも何度かあったりした。

全員の前で立たされて
「◎◎みたいなことやったって言ってるけど、本当にやったの?!」
みたいに問いただされる訳だ。

5〜7魂次元の人間の特徴の
「言葉をしゃべる才能がない」状態なので
僕はずーっと黙ったままだ。
それをクラスの生徒たちもずーっと見ているだけ。
で、ちょっと何かを僕がしゃべると
それがおかしな言葉になってしまい
クラス全員が大爆笑する、というような
シーンを今でも覚えている。

この時思ったのは
「僕がこういう目に遭っていても誰も助けてくれないんだ〜」
という世間の冷たさだ。

そして
「誰も僕の気持ちなんかわかないんだ〜」
って心のどこかで思っていた。

せめて先生なら
生徒の気持ちくらいわかれよ!と思っていたのだが
僕の知っている範囲で
そういう先生には小学生時代には会わなかった。
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◆小学校時代によかったこと

小学校1年生の時
消防車の絵が特選になって
高島屋に展示されたこと。

走るのだけは速くて
たぶん学年で1番速くて
いつもリレーの選手。
6年生のときの50mの記録は7.9。

小学校6年生の時
4〜5校の小学校が集まってやる
合同運動会の
走り幅跳びで優勝。
記録4m20cmっての覚えてる。

さすが5次元魂と言いたいところだが
要は「原石」がちょびっと光っていただけという感じ。

全然、賞賛されることはなかった。
先生とか褒めてくれていたかもしれないけど
全く覚えていない。

サッカーとかは
偉そうにしているいじめっ子系の奴らが
仕切ってたので、僕はいつもディフェンス。

◆中学になって才能開花

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僕の5次元感覚派×魂年齢30歳の
「舞台人」天職ゾーンのキーワードは以下のもの。

アフリカ、リズム、太鼓、ハーモニー、メロディ、ダンス、スポーツ、エンターテイメントetc..
僕は体を使って表現するアーティストだった。


中2になってその中の「アフリカ(海外)」と「リズム」に関係していた「英語」が上達した。

親父が中2のとき僕に英語の家庭教師をつけたのだ。
クラスに1〜2名しかいない「5」の成績をとることで
クラスの友達が僕を見る目が変わったことで自信がついた。
(数学、理科は最高で3しか取ったことがない...数字には弱い....)

中2の運動会に、中2なのになぜか赤組の応援団長をやることになった。
応援団はまさに運動会の中の最高の「エンターテイメント」。
リズム、太鼓、ダンスなどが混在していた。
それの影響か、その年のバレンタインデーに
いわゆる「本チョコ」を20個以上女子からもらった。
これで変な自信もついた(笑)

エンターテイメント系(スポーツ系)への道はどんどん開けた。

大学時代は
空手で国体選手
自転車やバイクで日本中を旅(旅は映画のワンシーン)
アメリカ留学

教員時代は
英語の教師
柔道部顧問で全国大会へ
世界を旅する

そして今
アフリカ系ブラジルパーカッションチーム主宰
映像ディレクター
英語教師
才能学

才能学のコンセプトは
「魂のリズムに心と体を委ねて」

地球という舞台で魂のリズムに合わせて
自由自在に踊るのだ。

◆まとめ

才能に触れていること(天職ゾーン)は
「やれば」ぐんぐん伸びたり効果てきめんだったりする。


これは子供だととてもわかりやすいが
大人も要領は同じだ。

何をやってもダメな人は
自分の才能と違うところのことをやっているか、
才能のあることをやってないはず。

着たい服と似合う服は違うのだ。

着たいけど似合わない服を着るのは
才能がないのに憧れだけで頑張っているということ。

似合う服を着るというのは
才能があるので少しの努力でぐんぐんと成果が出る
ということだ。

僕が「才能」になぜこんなにこだわっているのかというのは
この不遇の小学生時代があったからかもしれない。





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 Tadashi Shichijo / 京都生まれ東京在住。元公立中学英語教師&世界中を旅する。人生は舞台!「生まれてきてよかった!」という一生を支えるエクスタシーの瞬間をひとりでも多くの人に味わってもらうために才能発見、天職開発の仕事をしています。7次元舞台製作プロダクション銀座七海人代表。暖かい季節は野外系パーカッショニストもやっています。東京下町を自転車やバイクでぷらぷらするのが好き。
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