昨日の第1話のつづきです。

◆中学2年が転機

中2の時、親父が僕に英語の家庭教師をつけた。
これが人生の転機になった。

めちゃ厳しい先生で
生まれて初めて真面目に勉強した(させられた)。

中学時代の勉強って「やればできる」というのは本当で
中1の時にギリギリ「3」だった成績が
中2の1学期に一気に「5」になった。(5はクラスに1〜2名)
(👍右脳人と英語は相性がよい)

周りの僕を見る目が変わったのにビックリした。

僕は一夜にしてできる人に変わったのだ。

すると自信ってつくもので
他の教科もつられてどんどん成績が上がってきた。

するといいことがどんどん起きて
後期の学級委員長になり
生徒会長に立候補したクラスメート(前期学級委員長)の
応援演説をすることになった。

また夏には僕は陸上部のキャプテンになり
秋の大会では走り幅跳びで京都市6位になり
団体でも4位に入るという快挙を達成。
(顧問の先生が不在の中でした)

また3年生の命令で
2年なのに体育祭の応援団長をやらされることになって
自分としては、やるべきことをなんとかやった、
という感じだったのだが
これが多くの女子生徒のハートを射抜いたらしく
その年のバレンタインデーには
それまで一度ももらったことのない
チョコレートを20個以上もらうことに。
全く知らない女子たちからのいわゆる「本チョコ」ばかり
だったのです。

僕は1年前と同じ人間ですよ。

だけど「何をしたか」とか「どういう実績を出したか」
ということを人は見て評価や付き合い方を
変えるもんなんだ、って思いましたね。
(応援演説、陸上部キャプテン、応援団長=舞台人のエネルギーが出るところ)

この流れに乗って
僕は「公立高校」に進学することができた。
アホ高校に行かずに済んだのだ。

◆高校時代

公立高校へ行ったのは僕の町内からはたぶん初?
小学校4クラス160人から見ても
20人いなかったと思う。

ニューヨーク風に言うと
スラムを抜け出すことができた感がすごくあった。

公立高校に入って
僕の成績は中の上くらいに落ちた。
得意だった英語も「5」が取れなくなった。
できる人ばかり集まっているので
当たり前と言えば当たり前だった。

しかし同級生には勉強についていけず
留年する者や退学になる者もいた。

陸上部だけは続けていて
自由な校風の高校生活を満喫したと言っていい。

高3になって
僕が唯一自信があったのは「陸上」だけだった。
あったと言っても
京都府の大会で準決勝止まりのレベル。

正直、僕は学校内の「陸上部」の中のこの種目では1番、
というステイタスにしがみついて
自分の実力を上げる努力は全くしていなかったと言っていい。
というか実はこの頃、陸上はここまでだな、
という肌感覚があった。

うちは貧乏だから大学は国立しかあかんで
と親からは言われ続け、
ほとんど受験勉強らしい勉強をしないまま
共通一次そして大学は流れで体育学科を陸上で受けるも
見事不合格で浪人をすることに。

自信の欠片もない時だった。

でその頃、母がボソッと言った言葉があった。
あんた、中学の時英語得意やったから英語もう一度頑張ったら?

✨💡✨😮✨⚡️✨

おおおっ!そうだ!
と思った。

そして予備校で
英語を僕に教えてくれた師匠に出会い、
人生で2回目の「めっちゃ勉強した」年になった。

◆大学時代

ギリギリ2次募集で地方の国立大(島根大学/アメリカ文学)に合格して
僕は学生寮に入ることになるのだが、
この寮が超ハード無法地帯みたいな場所で
同期で入った同級生がスパルタな寮生活に耐えられず
半数以上退寮していくような場所だった。

だけどそこで秋から留学が決まっている3回生の先輩に出会って
あっ、俺も留学できるかもしれない、という気持ちが芽生えた。

先輩と同じ交換留学を狙っていたが
僕は全く勉強をせず
時々受けたTOEFLは基準点に達せず
迎えた4回生。
このまま卒業するか、
留学を本気で目指すか、
の選択を迫られた時
僕は計画留年して留学を本気で目指すことを選んだ。

5回生の春〜秋は
毎日図書館で朝9時から夜まで
英語の勉強だけをしていた。
人生で3回目の「めっちゃ勉強した年」だった。

結局交換留学のテストには落ちたが
秋のTOEFLで結果が出て
私費留学をすることになった。

なんで交換留学にこだわっていたか?
手続きを大学側がやってくれるので楽だから、
が本音の理由だった。

だけど結局私費留学するためには
自分でアメリカの大学にエアメールを書いて願書を取り寄せるところから
全部自分でやることになった。(ネットなどない時代)
が、自分でやったことでまた自信がついた。

◆アメリカ留学時代

アメリカの生活はめちゃ大変だった。
英語もろくに話せないまま
ロスからグレイハウンドバスで南部アラバマ州まで
3日3晩かけて泣きそうになりながら行ったし
大学の勉強は想像以上にハードで
ここまで勉強したことないぞ、というくらい勉強した。
勉強しないとついていけないくらい授業が厳しかった。

本当に朝から夜の12時に図書館が閉まるまで
ご飯の時と授業のないときはずっと図書館に籠って
勉強していたと言っていいくらい勉強した。
人生4度目のめちゃ勉強した1年だった。
日本でしていたTOEFLの勉強の100倍以上しんどかった。

だけど本当に実力がついたし、
木曜日にテストが終わると
金、土、日は夢のウイークエンドだった。
車の免許をアメリカで取って(20ドル)、
オンボロ中古車を買って(10万円)友達とあちこち旅行に行って
本当にウイークエンドは遊びまくっていた。
メリハリがめっちゃあるアメリカ大学生活だった。

そして帰国して
僕は教員採用試験を受けることになるのである。

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*留学時代に乗っていたポンティアック・グランプリ(78年製)。1000ドルで買った。動く計器類がスピードメーターだけでステアリングが右に曲がっていたすっごいオンボロ車でスピードを90キロ以上出すと壊れるとか、乗る前に10分アイドリングしろ、とか前のオーナーからの申し送りが多すぎ。実際走行中に煙を吐いたことが2回、ボンネットが爆発したのが一回。何度も修理しながら乗ってたけど、シートだけはフカフカで社長の椅子みたいでそこだけは気に入っていた。大学からアトランタまで2時間半。ニューオリンズまで7時間。ニューヨークやキーウエストまで24時間かけてあちこち旅行しまくっていた。帰国するときにインドネシアからの留学生に600ドル売った。


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◆著者プロフィール

Tadashi Shichijo /
日本才能学研究所所長。京都市生まれ東京在住。「生まれてきて本当によかった!」という一生を支えるエクスタシーレベルの才能発見、天職開発のスペシャリスト。公立中学英語教師時代に生徒指導に悩んだことがきっかけで外部の多種多様なセミナーを受講、また学生時代から幾度となく訪れているニューヨークの多様性から大きな影響を受け「才能」と「天職」の研究をはじめる。学校退職後は世界放浪、いくつかの仕事を経て2007年に独立。才能学個人セッション、トップの才能から見た企業デザイン、人財育成コンサルティングなどを手がけている。もうひとつの顔としてアフリカ系ブラジルパーカッションAlawodudu(アラウォ・ドゥドゥ)を主宰。夏場は野外音楽フェスティバルなどで演奏活動をしている。精霊と共にその人の天命を降ろせるような太鼓奏者を目指している。自分が本当の自分と繋がって表現する姿を見せることで他の人とその人の本当の自分を繋げていくことが使命。7次元舞台製作プロダクション銀座七海人代表。
*「折り句TV」に出演しました!

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