五感を使うことが
和の精神そのものだと言ってもよい。
味の細かい違いがわかる。
色の細やかな違いを識別できる。
どんな音も聞き分けることができる。
その奥に五感では感じない世界を感じる世界がある。(←ややこしい。わかる?)
それを第六感と呼び、見えない世界とのコンタクトの扉(やっと扉)に
なるのである。
つまり
和の精神を持っていない人間が
見えない世界とコンタクトをすることは
物理的(振動的)にありえない。
コンタクトがあるとすればいわゆる低級霊ですな。
そして
世の中は
日本人から和の精神を奪う方向で
どんどん動いて来ている。
最近、怖いな~と感じたのは
自動車に装備されつつある「移動物検知システム」だ。
コマーシャルでもよくやっている
子供が飛び出して来るのを感知して車が自動でブレーキを踏む、
脇見運転で前の車に追突しそうになるのを感知して車が自動でブレーキを踏む、
というやつだ。
一見、「おお~これで事故が減るやん」
って思うかもしれない。
しかしよーく考えてみると非常に怖い。
まず、そのシステムに慣れることで
「注意しよう」とか
「車は凶器にもなりえるから心して運転せねば」という気を引き締めることが
なくなるだろう。
そしてゆくゆくは和の精神で言う「人に対する思いやり」が
失われて行く。
次に目に頼るという意識が薄れて行く。
自分の目で見て判断、決断することをやめて
全てを車まかせ(機械まかせ)にしていくのである。
「ひとりひとりの思いやり運転+ひとりひとりの高い運転技術(視覚)」が
「自己中運転+それを機械が制御」
に変わるのだ。
これが「和の精神文化」が
「アメリカ自由経済主義+システム(時にはルール)」
に変わる瞬間であることがわかるだろうか。
ルールの中なら何してもいいよ、ってのがアメリカ流。てことはだんだん、バレなかったら何してもいいのね、っていうふうになるじゃない。
一方、何でもありの条件の中で自分で感じて、判断して、行動して、その結果に責任を取る、というのが「和の精神」の神髄なのだ。
そしてこれが見抜けないのが
今の感度の低い左脳コアブロロな日本人なのである。
まずは五感を研ぎすまそう。
毎日コーヒーを飲んで味の違いがわかってくるのさ。
和の精神そのものだと言ってもよい。
味の細かい違いがわかる。
色の細やかな違いを識別できる。
どんな音も聞き分けることができる。
その奥に五感では感じない世界を感じる世界がある。(←ややこしい。わかる?)
それを第六感と呼び、見えない世界とのコンタクトの扉(やっと扉)に
なるのである。
つまり
和の精神を持っていない人間が
見えない世界とコンタクトをすることは
物理的(振動的)にありえない。
コンタクトがあるとすればいわゆる低級霊ですな。
そして
世の中は
日本人から和の精神を奪う方向で
どんどん動いて来ている。
最近、怖いな~と感じたのは
自動車に装備されつつある「移動物検知システム」だ。
コマーシャルでもよくやっている
子供が飛び出して来るのを感知して車が自動でブレーキを踏む、
脇見運転で前の車に追突しそうになるのを感知して車が自動でブレーキを踏む、
というやつだ。
一見、「おお~これで事故が減るやん」
って思うかもしれない。
しかしよーく考えてみると非常に怖い。
まず、そのシステムに慣れることで
「注意しよう」とか
「車は凶器にもなりえるから心して運転せねば」という気を引き締めることが
なくなるだろう。
そしてゆくゆくは和の精神で言う「人に対する思いやり」が
失われて行く。
次に目に頼るという意識が薄れて行く。
自分の目で見て判断、決断することをやめて
全てを車まかせ(機械まかせ)にしていくのである。
「ひとりひとりの思いやり運転+ひとりひとりの高い運転技術(視覚)」が
「自己中運転+それを機械が制御」
に変わるのだ。
これが「和の精神文化」が
「アメリカ自由経済主義+システム(時にはルール)」
に変わる瞬間であることがわかるだろうか。
ルールの中なら何してもいいよ、ってのがアメリカ流。てことはだんだん、バレなかったら何してもいいのね、っていうふうになるじゃない。
一方、何でもありの条件の中で自分で感じて、判断して、行動して、その結果に責任を取る、というのが「和の精神」の神髄なのだ。
そしてこれが見抜けないのが
今の感度の低い左脳コアブロロな日本人なのである。
まずは五感を研ぎすまそう。
毎日コーヒーを飲んで味の違いがわかってくるのさ。
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