会社に入ると
会社ライフが始まる。

働く場所が決まり
出勤日が決まり
勤務時間が決まり
勤務内容が決まり
一緒に働く人が決まり
給料が決まり(歩合の場合もあって)
やりがいがあるのかないのかが
やってみてわかってくる。
(やりがいは自分で作り出すという意見もあるが)

これは何かというと

「会社ワールド」という文化の中に飛び込むと
会社ワールドの中の「時間」と「コト」に否応なく巻き込まれ
会社ワールドの一員としての生活が始まるということだ。

会社ワールドの生活が始まれば、いいことも、悪い事も、いろんなことが
いろんなところで、いろんな人との間で起こる。
いわゆる人の数だけの「ストーリー」があるってことだ。

いい会社の定義は難しいだろうが
やはり自分の好きなコトをやらせてくれて
且つ納得の給料をもらえる会社だと
いい会社って思えるだろうし
嫌なコトをやらされ、且つ給料に不満のある会社は
悪い会社って思うのが普通だろう。

また職場の人間関係で仕事が嫌になる人が多いが
会社を辞めれば嫌だった人間関係からあっと言う間に解放される。

ところが

「会社ワールド」の代わりに、これが「戦争ワールド」になったとしても
国民の立場というのは、会社ワールドで言う社員と相似なのかもしれない、
ということが今回言いたいことだ。

会社に入れば
否応無しに社員は会社の「時間」と「コト」に巻き込まれるのと同じように
戦争が始まれば
否応無しに国民は戦争に巻き込まれる。

違うところは会社は嫌になれば辞めれるが、国はそう簡単には脱出できないというところだ。

どういう形で戦争に巻き込まれるのか、
兵隊になるのか
軍事工場で働くのか
空襲で家を追われるのか
従軍慰安婦になるのか
いいも悪いも全部含めて
人によって人の数だけそこにストーリーが存在する。

そのそれぞれのストーリーに焦点を当てることは
歴史の真実を後世に伝えるという意味で大事なことではあるが
誰が戦争全体の「絵図」を描いたか、
つまり誰がどういう理由で戦争を始めたか?ということが
各ストーリー単体からは決して見えて来ない。

会社で言うと、
「誰がいつ何のためにその会社を作ったか?」
という会社を動かしているエンジンのようなものだ。

こういうのを「グランドデザイン」と呼んだりする。

戦争は
「国家間の利害の対立で起こるもの」と考えている人が多いかもしれないが
グランドデザインの視点から見ると全く違う。

すごくシンプルに言えば、世界の政治とトップとグローバル金融とグローバル武器会社がタッグを組んで
まず政治絡みでA国とB国の間に嫌悪感(対立感情)を「意図的」に作り出す。
嫌悪感が完成された時に、金融が両国に武器を買う金を貸して
両国が武器会社から武器を買って武器を手に入れると
「嫌悪感+武器」で戦争は簡単に始まる。

個人レベルに落として解説すると、
「あいつが君のことをこんな風に悪口言ってたよ」という「ウソ」を
友達2人に同時に耳打ちして
2人をお互いに敵対心を持たせるようにする。
「金貸しと武器屋を紹介するから武器を買いな。そしたらあいつなんて一発だぜ。」と2人同時に耳打ちする。
さらに「明日の夜、相手は君を襲うらしいぜ。」と付け加えると完璧だ。

人は相手が嫌いでも自分が弱いとケンカしないけど
武器を手に入れて「これだと勝てる」とか思うと
ケンカしてしまう、という人間心理が
「戦争のグランドデザイン」に組み込まれているのだ。

「金融は国に金を貸して儲けて
武器会社は武器を売って儲けて
政治は金融と武器会社の儲けに加担して裏金を貰い
生活と命を失って苦しむのは各国の国民」
というグランドデザインがそろそろ一般国民にも
見えて来た。

ニューヨークやベルリンでのデモ隊は
戦争を作り出す「グローバル金融システム」の存在に
気づいた人たちによって構成されていると聞く。

グランドデザインの中で起こっている
各ストーリーである
「原発をなくそう」
「戦争反対」
ではガス抜きにはなるかもしれないが
実は何も解決しない。

人ひとりひとりに降り掛かる各ストーリーを軽視するわけではない。
しかし「原発反対」「戦争反対」と叫ぶだけでは
会社で言えば飲み屋で上司の悪口を言ってるようなものに過ぎない。
それだけで会社自体の方針や理念(グランドデザイン)は変わらないのだ。

世界中で起こったほとんどの戦争、
今起こっている戦争
ルワンダのツチ族フツ族の闘いも
日本の明治維新の時の内戦も
全て同じ「グランドデザイン」で
行われて来たと言ってもいい。

龍馬や西郷さんは最初「グランドデザインを描いた側」の手先として使われたが
やがて「グランドデザイン」に気づき龍馬は戊辰戦争を阻止しようとして
「グランドデザインを描いた側の人間」に殺され
西郷さんは日本が日清、日露、世界大戦に結果として
突入させてしまった政府転覆を狙って最後の抵抗として
西南戦争を起こした、という解釈ができると言う。

この「グランドデザインの視点」を手に入れることができれば
過去から未来が読める。

つまり
「国民が他国民に嫌悪感を抱かない限り
決して戦争は起こらない」ということがわかるのだ。

「戦争を起こしてはいけない」という言葉の
背景に流れているエネルギーは
「意見の違う相手でも嫌わずに認めよう」
ということである。

そうは言っても
相手国が「グランドデザイン」を見抜けず
日本に嫌悪感を持ち、さらに武器を持った場合は
どうするのか?

ここはなかなか難しいのでまた次の機会に。

いずれにしても
戦争は国と国の闘いなのではなく
その本質は

「戦争というグランドデザインを描く者たちの【騙し力】」



「各国の一般国民のグランドデザインの【見破り力】」

との闘いであるという意識に到達する必要がある。