「やればできる」

世の中で一番「やればできる」が反映されることのひとつは
中学校の定期テストの勉強。(中間テストとか)

時間をかけてやっただけ、ストレートに得点に反映される。

ところが「やればできる」が
あてはまらないことも多い。
むしろあてはまらないことの方が多い。

僕が最初に「限界」を感じたのは陸上競技部にいた頃だ。

中学高校と僕は陸上部の中長距離パートにいたが
中1の頃から長距離走で絶対勝てない奴が1人いた。

中1の二条城元旦ロードレースで
僕は17位、奴は11位

中2の同じく元旦ロードレースで
僕は圏外の22位、奴は5位

中3の大会で
僕は800メートル予選落ち
奴は3000メートルで京都市で2位、京都府で3位。
近畿大会出場を果たした。

高校も奴とは一緒で
高3のとき僕は800メートル準決勝止まり
奴は5000メートルで3位で近畿大会へ。
その後、東京の駒沢大学へ進学して
箱根駅伝を目指す。
2年の時補欠に入っただけで
本戦にはついに出る事はできなかったが
東京から京都に帰って来ても走り続けた。
いろんなレースに出続けている。
市町村駅伝で南丹出身のM田くんと一緒に走ったりしている。
たぶん今でも時間があれば走ってると思う。

奴をどう形容すればいいのか?

長距離バカ
長距離が好き
長距離を走る事で自分を表現している
長距離の才能がある

奴は毎日練習するんだよね。
なんでそこまでやるの?というくらい毎日どこかを走ってる。
またそれが速い。
なんでそんなスピードで走れるの?後でバテるでしょ?というくらい
速い。

僕も頑張ろうと思ったけど
長距離を走る練習が苦痛で仕方がない。
なにが楽しいのかがわからない
苦しいことの向こう側にあることが
キラキラしてないと、やる気すら起きない。
当時の僕は
学校の部活の中の800メートルで1番なら
それでいい、という井の中の蛙的なことで
満足していたのだから、そりゃ努力なんてしない訳だ。

奴には苦しい努力の向こう側にキラキラしたものがあったのだろう。
中学の時はあの宗兄弟の出場したマラソン大会にわざわざ行き、宗兄弟と一緒に写真を撮っている。
僕は宗兄弟と聞いても、「別に~」という感じだった。
そのあたりから、つまり「好き」のあたりから「差」があった。

奴には長距離の才能があり、僕にはなかった、としか説明がつかなかった。

もちろん日本一とかオリンピックで世界一になれるような実力ではなかった。
それで食べて行ける訳でもなかった。
しかし、一生を貫くことができる自分のテーマを彼は中学1年のときに見つけて
それを続けてきたのだ、ということが言える。立派なことだと思う。

なぜ、続けられるか?
そこに「キラキラしたもの」や「喜び」がないと続けられない。
喜びを感じられることこそが「才能」なのだと思う訳だ。
やれば喜びを感じることなら、ほっといても続けてやるのが人間なのだ。

そして僕はこう思った。

奴が頑張って、結果を出せる程
僕にも頑張れる他の何かがある
と。