そりゃ誰だって
人生に一度くらいモテたいわな。
僕は小学校時代は、イジメラレっ子。
不思議と学校を休む、という発想がなく毎日休まず登校。
3年と5年のときは新任の女の先生が担任で
いじめっ子グループと一緒になって僕をいじめていた。
(まあ指導力がなかったってことだが)
勉強はサッパリできなかった。
少年野球チームに入っていたが(親が入れた)
ぜんぜんパッとしなかった。
僕の小学生時代は暗黒時代。
中1になってイジメられることはなくなった。
クラスで僕をバカにする奴がひとりいたが
胸ぐらつかんで「お前えーかげんにせーよー」と
ハッタリかましたらそれ以来大人しくなった。
勉強は普通。
英語のテストで「2」を「tow」と書いてバツを貰い
俺ってホントバカ、って思った。
脚が速かったので陸上部へ。
50m走は学年2番だった。
3年B組金八先生が始まった年だったと思う。
中2が転機。
親が怒って家庭教師をつけた。なぜか英語だけ。
2時間×週2で宿題をめちゃくちゃ出す先生。
性格がくそ真面目だったんで(当時)
「やればできる」の言葉どおりで1学期の中間テストはいきなりクラストップの99点。
1学期の英語の成績が「5」に。
もちろん自信になったけど友達の僕を見る目が変わった。
夏休みに陸上部のキャプテンに指名された。
秋の大会は陸上部創立以来はじめての京都市総合4位入賞。
僕は走り幅跳びで6位入賞。
チームメートが1位(400m)、2位(3000m)、5位(ハードル)に入賞。
砲丸投げと走り高跳びの2人が実力通りだったら総合優勝だった。
クラスメートの推薦で体育祭の応援団に(各学年から4人ずつ)。
中2なのになぜか中3の人から「お前団長やれ」と言われる。
しぶしぶ赤組の団長をやることに。
どうもこれが女子のハートをガッツリ掴んだらしく
中2のバレンタインデーに全く知らない女子たちから
もらったチョコレート20個以上。
いわゆる本チョコ。
これが人生はじめてのモテ期。
中1と中2の僕は同じ人間なんだけど
「何かをやる」ことで人の見る目が違ってくるんだって思った。
後期は学級長に。
クラスメートが生徒会長に立候補して
その応援演説を務める。
学年でも目立って来て
同じ学年の番長グループに目をつけられ
タイマンを申し込まれる。*タイマン=1対1の勝負
血が出るまで殴り合いをするってのがルール(向こうが勝手に決めたルール)
僕と番長の周りを15人ほどの番長グループが囲んでいる中でタイマンスタート。
最初番長の連続攻撃。
耐えていたが途中あまりに
むかついてきたので
一発顔にパンチをお見舞い。
番長は5mふっとんだ。
そのあと番長が怒りまくってラッシュ。
僕は鼻血を出して終了。
次の日学校の廊下で番長に会った。
「おっ顔ちょっと腫れてるな~ははは」って。
番長の顔もすこし腫れてた。
カラッとしてた。
中3のバレンタインデーのチョコは10個くらい。
チョコッと人気が落ちた?って思った。
当時陸上部には「女子とつき合ってはいけない」
という訳のわからんルールがあって
みんな愚直にそれを守っていた。
僕も例外ではなかった。
中3になったとき
3年B組金八先生が
1年B組新八先生になってガックリきたのを
覚えている。
今日の格言
「転機は何かちがうところにある」
親が俺を英語の家庭教師につけなかったら
バレンタインチョコのモテ期はなかった。
たぶん今の俺もなかった。
おびただしい「ご縁(えん)」が毎日毎時間宇宙からやってきている。
それをキャッチしてやるかやらないかで
運命が開けるか閉じるかが決まる。
しかし運命がどこで開くかはそのときは全くわからない。
いずれにしても
「何かをやる」
そして
「やりきって何か結果を出す」
ってのが大事。
僕の場合は
「やりきったら結果が出ちゃった(英語)」
って感じだったけど。
あとは
何か頼まれ事っていうのは
宇宙からの「ご縁=ラブコール」だと思う。
陸上部キャプテン、応援団長などは
嫌々引き受けた。
自分の才能(個性、雰囲気)にスポッとはまると(これが大事かな~)
外部にすごい影響力を与えることになる。
有名になると目をつけられるのは
まあ仕方ないか。。
番長がスッキリした奴でよかった。
出典:L-R(午後TEAプロジェクト)
人生に一度くらいモテたいわな。
僕は小学校時代は、イジメラレっ子。
不思議と学校を休む、という発想がなく毎日休まず登校。
3年と5年のときは新任の女の先生が担任で
いじめっ子グループと一緒になって僕をいじめていた。
(まあ指導力がなかったってことだが)
勉強はサッパリできなかった。
少年野球チームに入っていたが(親が入れた)
ぜんぜんパッとしなかった。
僕の小学生時代は暗黒時代。
中1になってイジメられることはなくなった。
クラスで僕をバカにする奴がひとりいたが
胸ぐらつかんで「お前えーかげんにせーよー」と
ハッタリかましたらそれ以来大人しくなった。
勉強は普通。
英語のテストで「2」を「tow」と書いてバツを貰い
俺ってホントバカ、って思った。
脚が速かったので陸上部へ。
50m走は学年2番だった。
3年B組金八先生が始まった年だったと思う。
中2が転機。
親が怒って家庭教師をつけた。なぜか英語だけ。
2時間×週2で宿題をめちゃくちゃ出す先生。
性格がくそ真面目だったんで(当時)
「やればできる」の言葉どおりで1学期の中間テストはいきなりクラストップの99点。
1学期の英語の成績が「5」に。
もちろん自信になったけど友達の僕を見る目が変わった。
夏休みに陸上部のキャプテンに指名された。
秋の大会は陸上部創立以来はじめての京都市総合4位入賞。
僕は走り幅跳びで6位入賞。
チームメートが1位(400m)、2位(3000m)、5位(ハードル)に入賞。
砲丸投げと走り高跳びの2人が実力通りだったら総合優勝だった。
クラスメートの推薦で体育祭の応援団に(各学年から4人ずつ)。
中2なのになぜか中3の人から「お前団長やれ」と言われる。
しぶしぶ赤組の団長をやることに。
どうもこれが女子のハートをガッツリ掴んだらしく
中2のバレンタインデーに全く知らない女子たちから
もらったチョコレート20個以上。
いわゆる本チョコ。
これが人生はじめてのモテ期。
中1と中2の僕は同じ人間なんだけど
「何かをやる」ことで人の見る目が違ってくるんだって思った。
後期は学級長に。
クラスメートが生徒会長に立候補して
その応援演説を務める。
学年でも目立って来て
同じ学年の番長グループに目をつけられ
タイマンを申し込まれる。*タイマン=1対1の勝負
血が出るまで殴り合いをするってのがルール(向こうが勝手に決めたルール)
僕と番長の周りを15人ほどの番長グループが囲んでいる中でタイマンスタート。
最初番長の連続攻撃。
耐えていたが途中あまりに
むかついてきたので
一発顔にパンチをお見舞い。
番長は5mふっとんだ。
そのあと番長が怒りまくってラッシュ。
僕は鼻血を出して終了。
次の日学校の廊下で番長に会った。
「おっ顔ちょっと腫れてるな~ははは」って。
番長の顔もすこし腫れてた。
カラッとしてた。
中3のバレンタインデーのチョコは10個くらい。
チョコッと人気が落ちた?って思った。
当時陸上部には「女子とつき合ってはいけない」
という訳のわからんルールがあって
みんな愚直にそれを守っていた。
僕も例外ではなかった。
中3になったとき
3年B組金八先生が
1年B組新八先生になってガックリきたのを
覚えている。
今日の格言
「転機は何かちがうところにある」
親が俺を英語の家庭教師につけなかったら
バレンタインチョコのモテ期はなかった。
たぶん今の俺もなかった。
おびただしい「ご縁(えん)」が毎日毎時間宇宙からやってきている。
それをキャッチしてやるかやらないかで
運命が開けるか閉じるかが決まる。
しかし運命がどこで開くかはそのときは全くわからない。
いずれにしても
「何かをやる」
そして
「やりきって何か結果を出す」
ってのが大事。
僕の場合は
「やりきったら結果が出ちゃった(英語)」
って感じだったけど。
あとは
何か頼まれ事っていうのは
宇宙からの「ご縁=ラブコール」だと思う。
陸上部キャプテン、応援団長などは
嫌々引き受けた。
自分の才能(個性、雰囲気)にスポッとはまると(これが大事かな~)
外部にすごい影響力を与えることになる。
有名になると目をつけられるのは
まあ仕方ないか。。
番長がスッキリした奴でよかった。
出典:L-R(午後TEAプロジェクト)
コメント
コメント一覧
気持ちが沈んでいるときに読むとやる気が沸いてくることをよく書いてますね。<br />私、ぐずぐず悩むタイプなのでブログを読んでいると励みになります。
http://ameblo.jp/tanuki-chin/
いつも、楽しく拝読しております。ありがとうございます。<br />私のモテ期は中3。同時期に、1対10くらいで、ボコボコにされました。流石に手も足も出ませんでした。「お前!生意気だ!」だそうです。ひがみを買ったのか?人生の痛い肥やしになりました。
>水やんさん<br /><br />おお、お久しぶりです。読んで頂いてありがとうございます。ボコボコにされるほど目立っていたということでしょうから、はそれだけ昔からエネルギーが高かったってことなんでしょうね。さすが水やんさんです。
http://ameblo.jp/tea-tour/