今から約20年ほど前、
地球村の高木善之さんの講演を1度だけ聴いたことがある。
当時はまだ僕は中学校教師をしていて
確か柔道部の生徒たちを連れて行ったと思う。
(当時僕は柔道部の顧問をしていた)
その中で衝撃だったのは
インド(だっけ?)の森に住む人たちの話。
今でも覚えてるってことは
相当インパクトがあったんだろうなと思う。
その話は
たぶん「環境の世界会議」か何かで
インドの、ある森の中にある村の村長さんの
訴えだったと覚えている。
話の内容はこうだったと思う。。。
彼らが住む村は「聖なる森」の中にあった。
しかし近くの川にダムが建設されることになり
村は森ごと水の底に沈むことになった。
森をただ水の中に沈ませるのはもったいないので
ダム建設発注元は森の木を全部切り倒して木材にして売ろうとしたらしい。
村の住人は「聖なる森の木を切るなんてとんでもない」
ということで抗議をしたが聞き入れられる訳もなく
森の木が切り始められた。
すると村人はなんと自分の体を木にロープでくくりつけて
「木を切るなら自分も一緒に切れ」と言ったそうだ。
さすがにそこまですれば木を切るのを止めるだろうと
思ったのは甘かった。
発注元は同じインド人を使って
人間ごと木を切ったのだ。
その村の村長さんが環境世界会議で訴えたのは
「悪魔の心をもった権力者はいらない。
聖人の心を持った権力者が現れて欲しい」
というものだった。
あるとき、この話を友達にしたときにこう言われた。
「聖人の心を持っている人は、権力者なんかにならないよ。」
しかし僕はそうでもないと思う。
例えば王国で最大の権力を持っている王様がもし聖人の心を持っていれば
国民は超幸せだと思う。
しかし逆に悪魔の心を持っていればいわゆる「暴君」になる。
これは王国だけの話ではない。
小さい集団でも同じようなことが言える。
家庭なら親。
学校なら教師。
会社なら社長。
部活動ならキャプテン。
サークルなら代表。
権力(一番強い力)を持つものが
どんな人間であるか?ということが
その集団のエネルギーを99%決めてしまうのだ。
では「聖の心」とは一体何なのだろうか?
平たい言葉で言えば
「相手の立場に立って物事を考えられること」
「相手の気持ちになって物事を考えられること」
だと思う。
これは、しかし、自分の心に本当に余裕がないとできない。
脳波で言えばα波(4次元以上)になってないと無理だ。
ハッキリとわかることは
自分が聖人の心を持っているか持っていないか、ということと
自分に関わってくる人が聖人の心を持っているのか、そうでないか
ということだけだ。
日々の中で「気持ちに余裕」を持って生きることができるならば
きっとあなたは「聖人の心」を持っているということになる。
そして集団の長になったならば
あなたは「聖人の心を持った権力者」であると言える。
一人でも多くの「聖人の心を持った権力者」が
世の中でその力を正しく振るいますように。
僕もその一翼を担っていきたいと思う。

映画「アバター」のようなストーリーは映画の中だけの
話ではない。地獄からの声は権力者により閉ざされて
なかなか僕たちのところまで届いてこない...
世界にも日本にも「この世の地獄」はたくさん存在
しているはず。
メルマガ登録を完了させるには、登録後送られてくる認証メールを認証する必要があります。登録したけど、認証メールが届かない方は別のアドレスで登録して頂くか、届かないときの設定解説 をご覧ください。
地球村の高木善之さんの講演を1度だけ聴いたことがある。
当時はまだ僕は中学校教師をしていて
確か柔道部の生徒たちを連れて行ったと思う。
(当時僕は柔道部の顧問をしていた)
その中で衝撃だったのは
インド(だっけ?)の森に住む人たちの話。
今でも覚えてるってことは
相当インパクトがあったんだろうなと思う。
その話は
たぶん「環境の世界会議」か何かで
インドの、ある森の中にある村の村長さんの
訴えだったと覚えている。
話の内容はこうだったと思う。。。
彼らが住む村は「聖なる森」の中にあった。
しかし近くの川にダムが建設されることになり
村は森ごと水の底に沈むことになった。
森をただ水の中に沈ませるのはもったいないので
ダム建設発注元は森の木を全部切り倒して木材にして売ろうとしたらしい。
村の住人は「聖なる森の木を切るなんてとんでもない」
ということで抗議をしたが聞き入れられる訳もなく
森の木が切り始められた。
すると村人はなんと自分の体を木にロープでくくりつけて
「木を切るなら自分も一緒に切れ」と言ったそうだ。
さすがにそこまですれば木を切るのを止めるだろうと
思ったのは甘かった。
発注元は同じインド人を使って
人間ごと木を切ったのだ。
その村の村長さんが環境世界会議で訴えたのは
「悪魔の心をもった権力者はいらない。
聖人の心を持った権力者が現れて欲しい」
というものだった。
あるとき、この話を友達にしたときにこう言われた。
「聖人の心を持っている人は、権力者なんかにならないよ。」
しかし僕はそうでもないと思う。
例えば王国で最大の権力を持っている王様がもし聖人の心を持っていれば
国民は超幸せだと思う。
しかし逆に悪魔の心を持っていればいわゆる「暴君」になる。
これは王国だけの話ではない。
小さい集団でも同じようなことが言える。
家庭なら親。
学校なら教師。
会社なら社長。
部活動ならキャプテン。
サークルなら代表。
権力(一番強い力)を持つものが
どんな人間であるか?ということが
その集団のエネルギーを99%決めてしまうのだ。
では「聖の心」とは一体何なのだろうか?
平たい言葉で言えば
「相手の立場に立って物事を考えられること」
「相手の気持ちになって物事を考えられること」
だと思う。
これは、しかし、自分の心に本当に余裕がないとできない。
脳波で言えばα波(4次元以上)になってないと無理だ。
ハッキリとわかることは
自分が聖人の心を持っているか持っていないか、ということと
自分に関わってくる人が聖人の心を持っているのか、そうでないか
ということだけだ。
日々の中で「気持ちに余裕」を持って生きることができるならば
きっとあなたは「聖人の心」を持っているということになる。
そして集団の長になったならば
あなたは「聖人の心を持った権力者」であると言える。
一人でも多くの「聖人の心を持った権力者」が
世の中でその力を正しく振るいますように。
僕もその一翼を担っていきたいと思う。

映画「アバター」のようなストーリーは映画の中だけの
話ではない。地獄からの声は権力者により閉ざされて
なかなか僕たちのところまで届いてこない...
世界にも日本にも「この世の地獄」はたくさん存在
しているはず。
日本才能学研究所発行のメールマガジン(無料)にぜひご登録ください
メルマガ登録を完了させるには、登録後送られてくる認証メールを認証する必要があります。登録したけど、認証メールが届かない方は別のアドレスで登録して頂くか、届かないときの設定解説 をご覧ください。
コメント