NHK大河ドラマを毎年楽しんでいる僕だが
今年の「花燃ゆ」もなかなか面白い。
最近、巷には日本のことを真剣に考えるグループ、集団などが多くあるが
もし「目指せ!松下村塾!」というスローガンを掲げているところがあれば
残念ながら、それは単なる憧れの域を出ないものにしかならないと思う。
過去のものと比較してどうするんだ?
今と過去では世の中の状況が全く異なるわけで
松下村塾がどうのこうの、と言う暇があれば
現状の分析と解決の方法にもっと時間を使うべき。
今、何かに本当に夢中になっているモードの時は
他の人が何をしてようが、
昔の人が何をしてようが、
そんなものは一切関係なく
ただ「今ここ」にいるだけなのだ。
さて...
UD16には多くの複雑なマインドモデルがあるが
今日言いたいのは「対象ゾーン」というマインドモデルについてだ。
それぞれの天職は「何を対象にするものか」というものだ。
これには大きく分けて3つある。
(1)日本や地球や宇宙のことに直接取り組む
(2)ご縁のある人のために直接役に立つことをする
(3)自分の好きなことをして、その姿を他の人に見せることで
間接的に他の人に夢を与えたり元気にしたりする。
全ての人間が必ず(1)~(3)のどれかにエネルギー的にハマるのだ。
ハマると「燃える」し「張り裂けるような喜び」を感じることができるが、
ハマらないと「やる気が出ない。やっても全くうまくいかない。
才能のないことをやればやるだけ精神と身体を痛める」となる。
だから(1)にハマる人に日本や地球のことを考えてほしいわけだ。
(2)や(3)の人が「日本のために◎◎します!」なんて言っても
言霊にエネルギーも全く乗らずに、違和感ありまくりの
おかしなものにしかならない。
また(1)の人は(2)や(3)の人を「日本のために」という大義名分で
そこに引っ張らないでほしい。
(2)や(3)の人には日本や世界のことに取り組む才能が「ない」のだ。
オーバースペックになる人を僕も山ほど見てきている。
(むう、ちょっと言い過ぎたか?)
それはさておき、
僕は戊辰戦争をドライに「内戦」という見方をしている。
現代日本人が「内戦の構造」を学ぼうとするときのみ、
僕は戊辰戦争を振り返って分析してもいいと思っている。
そして
「内戦の構造」とは
今も昔も基本的なアプローチは
全く同じだ。
今の時代にも世界のあちこちで「内戦」が起こっている。
ネット社会だから情報はリアルタイムで入ってくるが
いかんせん距離が遠い。
僕たちは、よその国の内戦をなかなか自分のことと関連づけることは
難しく、「あ~、あそこの国で内戦か~」と外から傍観するしかない、
というのが現状だ。
おそらく当時、日本の戊辰戦争も、
僕らが今日本から内戦で苦しんでいる国を傍観しているのと同じように
「あ~、内戦が始まったか」と外国からは見られていたのだと思う。
人のいるところには必ずドラマが生まれる。
戦争の時でも、味方や敵に関わらず
どこにでもドラマは生まれている。
幕末の志士は最近とてもドラマティックに描かれることが多いが
単なる「内戦」という視点から考えてみると
決して彼らはヒーローであるとは言えなくなる。
ドラマにはほとんど「編集」のフィルターがかかる。
戦争ものだと、どちらかに正義が傾いて描写される(洗脳される)のだ。
僕はあえて、その編集という3次元フィルターを外して
内戦の裏側に入り込んで内戦を駆動させているエネルギーの型と流れ(7次元視点)
を使ってドライに戊辰戦争を斬ってみることにする。
つづく(はず)

ドラマに酔っている場合ではない。
自分のドラマをリアルに作っていくのだ。
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今年の「花燃ゆ」もなかなか面白い。
最近、巷には日本のことを真剣に考えるグループ、集団などが多くあるが
もし「目指せ!松下村塾!」というスローガンを掲げているところがあれば
残念ながら、それは単なる憧れの域を出ないものにしかならないと思う。
過去のものと比較してどうするんだ?
今と過去では世の中の状況が全く異なるわけで
松下村塾がどうのこうの、と言う暇があれば
現状の分析と解決の方法にもっと時間を使うべき。
今、何かに本当に夢中になっているモードの時は
他の人が何をしてようが、
昔の人が何をしてようが、
そんなものは一切関係なく
ただ「今ここ」にいるだけなのだ。
さて...
UD16には多くの複雑なマインドモデルがあるが
今日言いたいのは「対象ゾーン」というマインドモデルについてだ。
それぞれの天職は「何を対象にするものか」というものだ。
これには大きく分けて3つある。
(1)日本や地球や宇宙のことに直接取り組む
(2)ご縁のある人のために直接役に立つことをする
(3)自分の好きなことをして、その姿を他の人に見せることで
間接的に他の人に夢を与えたり元気にしたりする。
全ての人間が必ず(1)~(3)のどれかにエネルギー的にハマるのだ。
ハマると「燃える」し「張り裂けるような喜び」を感じることができるが、
ハマらないと「やる気が出ない。やっても全くうまくいかない。
才能のないことをやればやるだけ精神と身体を痛める」となる。
だから(1)にハマる人に日本や地球のことを考えてほしいわけだ。
(2)や(3)の人が「日本のために◎◎します!」なんて言っても
言霊にエネルギーも全く乗らずに、違和感ありまくりの
おかしなものにしかならない。
また(1)の人は(2)や(3)の人を「日本のために」という大義名分で
そこに引っ張らないでほしい。
(2)や(3)の人には日本や世界のことに取り組む才能が「ない」のだ。
オーバースペックになる人を僕も山ほど見てきている。
(むう、ちょっと言い過ぎたか?)
それはさておき、
僕は戊辰戦争をドライに「内戦」という見方をしている。
現代日本人が「内戦の構造」を学ぼうとするときのみ、
僕は戊辰戦争を振り返って分析してもいいと思っている。
そして
「内戦の構造」とは
今も昔も基本的なアプローチは
全く同じだ。
今の時代にも世界のあちこちで「内戦」が起こっている。
ネット社会だから情報はリアルタイムで入ってくるが
いかんせん距離が遠い。
僕たちは、よその国の内戦をなかなか自分のことと関連づけることは
難しく、「あ~、あそこの国で内戦か~」と外から傍観するしかない、
というのが現状だ。
おそらく当時、日本の戊辰戦争も、
僕らが今日本から内戦で苦しんでいる国を傍観しているのと同じように
「あ~、内戦が始まったか」と外国からは見られていたのだと思う。
人のいるところには必ずドラマが生まれる。
戦争の時でも、味方や敵に関わらず
どこにでもドラマは生まれている。
幕末の志士は最近とてもドラマティックに描かれることが多いが
単なる「内戦」という視点から考えてみると
決して彼らはヒーローであるとは言えなくなる。
ドラマにはほとんど「編集」のフィルターがかかる。
戦争ものだと、どちらかに正義が傾いて描写される(洗脳される)のだ。
僕はあえて、その編集という3次元フィルターを外して
内戦の裏側に入り込んで内戦を駆動させているエネルギーの型と流れ(7次元視点)
を使ってドライに戊辰戦争を斬ってみることにする。
つづく(はず)

ドラマに酔っている場合ではない。
自分のドラマをリアルに作っていくのだ。
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